***ふせったーからサルベージしたやつ、2022年秋ごろにメモしてたもの***
キム負傷ルート、キムがいない寂しさはやはり壮絶だけどクーノが子供なりに一所懸命おじさんの事を慰めたりかばったりしてくれるのも、クーノが自分の人生を歩むために彼なりに行動しはじめることも本当に良くてベソベソに泣いちゃったな……
キム負傷ルートのネタバレ(クリックで展開)
クーノが「もう(汚い言葉なんて)言わない!二度と言わないから!」って本当に12歳の子供として縋りつくところ、クーノの今まで過ごしてきた環境を思うとあまりにも悲痛だし
今まで散々攻撃的にふるまって自分を守ってきた彼が純粋に誰かを信じて自分を掬い上げてほしいと願うその必死さにヴ!!!!!!!!!!!!!!!!!(泣!!!!!!!!!!!!!!!)なってしまった。
どうしてキムもクーノも一緒に連れていくルートが……ないんですか!??!?!(ディスコエリジウムは……ギャルゲーだから!!!!!!!!!!!!!!!!!!)
ディスコエリジウムの真犯人、刑事モノ的にはポッと出のこの人、誰!?!?!みたいな感じになるの、わかる……!!と思いつつ、それでもやっぱりこの物語の幕を引くためのキーパーソンは他の誰でもなく彼である必要があったんじゃないかな~と思う。
(少し前にも同じ事をつぶやいとるんですけども)
あのゲームにおいて、ハリーが主人公として成しえた最大の出来事って
『世界と改めて関係性を構築しなおす事(それによって誰かに傷つけられたり、誰かを傷つける事とも向き合う事)=社会性を取り戻す事』なんじゃないかな……と思っているので
革命の後もずっと自分の思想の砦に閉じこもって、人との関わりを一切遠ざけてあの小島で生きてきた老兵と、マルティネーズのあちこちを駆けずり回って誰かと話してはその思想に触れ、嫌がられたり信頼されたりして自己を確立していったハリーは
あの湾を隔ててまさしく対になる存在だったんじゃないかな……と思う。
だからこそ、物語の最後に人との干渉をやめた老兵は自分が何者なのかすら見失って抜け殻のようになってしまうのだし
ハリーは今の自分と過去の自分を総括して、これからの人生に向けての第一歩を踏み出す結果に至るんじゃないだろうか…………
(これはこじつけ的な考えでございますが……)
—ここから先は個人的な感想—
世界が物質と物質の相互干渉から成り立っているのであれば人間を形作るものもつまり相互干渉、コミュニケーションなんじゃないか?
人間が言う”愛”の一番シンプルで原始的な形ってもしかしたら人と人との関わり合い……社会性ってやつなんじゃないか?
みたいな物語がもともとかなり好きなので DEの本筋もそういう部分を強めに読み取って好き……ってなってしまうんだな~~~~~~(日記)
二周目、内陸帝国のステ高めにしているけどそれだけで主人公の印象だいぶ違うので面白い。記憶喪失というよりも事実を思い出すと精神的ダメージに堪えられないハリーのために内陸帝国くんたちが必死にガードしているんだな~というのがよく見えてくる……
だからこそキムやクーノ、マルティネーズに生きるあらゆる人達を通じて社会との関わりを取り戻していく事、”世界と自分の関係性”を構築しなおす第一歩がこのゲームの目的なんだよな……という感じで、好きだな~~~~!!!
あと最後の場面のキム・キツラギ カラオケのタスクは嫌がられるかな……と思ってわざわざ夜中単独行動になるのを待ってからこっそり歌いに行ったのに普通にその事知ってるしその場の全員にバラすからすげえウケちゃった。やめて!!!!!!!!